減反政策とは? ついでに国のチカラを減らした政策?

減反政策というものがあります。

「米つくりすぎても売れないし困るからつくるのを減らしてほしいニダ」

という政策です。これは1970年からはじめられ、2018年におわりました。

現場を知らない、お猿さんレベルの頭の人が考えた政策のおかげで地域を衰退させ、自給力をさげ、洪水から地域を守れなくなりました。

生産者のメリットは補助金がはいってくることで収入が確保できます。

だけどデメリットもあり、言いなりにならないといけないのです。自由に生産ができません。

結果として条件が悪くても、それに反対することもできず、政府の言いなりにならないといけません。

政府がまちがった政策をしたら一緒に落ちることになります。

とはいえ、おきたことだし、それは誰のせいというわけじゃありません。もう、お金におぼれた、お猿さんたちはおいといて、新しい仕組みをかんがえるときです。

じゃあ、どうすりゃいいんでしょう。みんなで学びあい地域から状況をかえていくことだと思います。

減反政策がはじまったのは?

1970年からはじめられた、この政策はコメの生産量をへらす政策です。

モノがあまったら、そのぶん値段がさがります。そうすると生産者の収入が減ることが予想されはじまりました。

その他にもアメリカからプレッシャーをかけられたから、米自体の消費も減っていったからというのもあり、しょうがないといえばしょうがなかったわけです。

僕が生まれる前の話で、なにがどうなってこうなったのかわかりませんが、長い目で見るとムダな政策だったのかもです。

減反政策をするのは?

政府が主導したいからじゃないでしょうか。

世界的にもグローバル化といって中央集権型の仕組みをつくって、ヒト・モノ・カネを管理したい人たちがいました。

世界を一つの国として、この地域ではコレと役割を分担し、お金で交換しないといけない仕組みをつくったわけです。

そんな大きな流れのなか、日本も官僚によって世のなかの仕組みがつくられていました。

官僚の頭んなか

ですが、この官僚、勉強しないと上にあがれないくらい頭が悪く、子どものころから、ずっと勉強中心の生活でした。

その生活のなかで勝つことだけを求められ、勝つことがすべて、勝て勝たなきゃゴミだクズだ。勝てればいいなぁじゃない勝たなきゃダメなんだと言い聞かされ育ってきました。

恋もせず、ひたすら勉強をして、良い大学にいきました。

友だちもいるのでしょうが、どっちかというと敵のほうが多かったのでしょう、おたがいに足を引っぱりあうことが人づきあいの基本です。

そのまんま同じノリで官僚の世界にはいっていくわけです。そりゃ出世しか頭になく、他人のことなぞお構いなし。

というか、

オレたち、ワタシたちが必死に勉強してたあいだ、バカどもはなんもせず、目の前の快楽を楽しんでたんだ。なんで、そんなヤツラの生活をなんとかしなきゃいけないんだニダ!

と考え、

今度はオレらが人生を楽しむ番だ。そのためにはお金、打ち出の小槌のようなお金を生み出す仕組みをつくるんだニダ

そのために、

世の中は不況じゃなきゃいけない。オレらが不況をつくり、それを解決してやるニダ

そう考えて面倒を起こさず、ただ前例どおりに仕事をしているフリをしよう。面倒なことは誰かに押しつけ、自分は目立たず、落ちこぼれず、自分の居場所を確保するんだ。

というのが官僚の頭のなかなんだと。というより官僚として出世するヤツらの頭の中だそうです。

そして、そのために減反政策が行われていました。

減反政策のデメリット

米の価格がムダにあがります。そのために税金がつかわれます。

でもって、ついでに輸入を保護するためにも税金がつかわれます。

ようするにムダなことをしているわけです。

そんなムダなことをしたことで、お米の生産者が50年で5分の1になりました。

でもって、生産者に自分でつくって、自分で売ってちょうだい。大丈夫、売る場所あるよ。海外に売ればいいんだよ、どうすりゃいいかは知らんけど。

という風に政策を転換しました。日本の政策は基本、海外に安全を保障してもらうかわりに、なにかをギセイにするという考えです。

それはそれでいいのですが、海外の情勢を考えると、それは能天気すぎやしないかと思います。

強いのはミサイルより食べものです。それを無視する政策をする政府をあてにせず、自分たちで生きる方法を考えるときじゃないかと僕は考えます。

僕たちにできること

生産者がマーケティングできるようになることです。自分でつくったものを自分で市場をつくり、地域通貨でやりとりしていくことです。

デジタルをつかったマーケティングをして、地域に人をよんで、特産品をつくって売っていくことじゃないでしょうか。

なんてことができる生産者はどれくらいいるでしょう。時間的にも精神的にも負担がかかりすぎです。

それをするのは本来、役場です。ですが、そんなことできる人材はいない可能性のほうが高いです。

なので地域でつくっていくことです。本来、大和民族であるわれわれは助けあいが好きで、助けあうことで生き延びてきました。

どこかの民族に支配された官僚・政府をあてにせず「かしこい国民」にもどるコトだと思います。

お米は特別なもの?

いろんな意見があるでしょうが、お米は日本人には特別なものです。お米をつくることで、自然に感謝し、祈りをささげ、自然と共に生きてきたんだと僕は考えます。

お米がなければパンを食べればいいじゃない

と、どこかのアントワネットは言うかもですが、米じゃないとダメな理由があるんだと感じています。

そんなお米を大事にしたコミュニティにもどしていくことが、これからの日本を楽しく生きるために大事なんだと思っています。

注:この記事に出てきた官僚は僕の勝手な妄想です

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