一汁一菜なんて、なんか栄養たりなさそうで、貧乏くさい、人生を楽しめていない感じがする。
たしかに
実際に僕もそう思っていました。
ですが、やっていくうちに勘違いだったと、いまでは思っています。
万人受けするものではありませんが、一汁一菜をすることで得られる精神的健康度について解説です。
精神的健康度とは
いまの生活はしあわせですか
感謝したくてたまらない
そんな気持ちになったことはありますか?
もし「はい」と答えられたら、あなたの精神的健康度は普通です。
え、ハードル高
と思ったら、それは当たり前の反応です。ですが、普通ではないわけです。昔なら、
アナタ大丈夫? しっかり休みなさい
と心配されるでしょう。
感謝したい昔の日本人
昔の日本人は感謝したくてたまらないのがデフォルトだったとされていて、その証拠が神社です。
昔の日本人は感謝したくてたまらないと思う人が多く、感謝をするために石をおいて、それに感謝したのが神社のはじまりだったとされています。
そんな逸話があるくらい日本は精神的に豊かだったようです。
ホントのしあわせとは?
それじゃあ、どんな生活をしていたのでしょうか。
いまでは、あり得ないほど質素なくらしだったようです。ですが精神的には豊かな暮らしをしていたようです。
で、昔の暮らしにあったものをまとめると、
- コミュニティの絆
- 近所づきあいの深さ
- 相互扶助の精神
- 共同作業の習慣
- 自然との調和
- 季節の移ろいを大切にする
- 自然の恵みを活かす知恵
- 省資源的な生活習慣
- 心の豊かさ
- 物を大切にする心
- 感謝の気持ち
- 質素倹約の美徳
- 文化的な要素
- 年中行事の実施
- 伝統芸能の継承
- 地域の祭りへの参加
- 生活の知恵
- 修理・再利用の技術
- 保存食づくり
- 手づくりの文化
これらの時代に共通するのは
- 物質的な豊かさよりも人とのつながりを重視
- 自然との調和を大切にする生活
- 物を大切にする心
- 助け合いの精神
- 季節の行事や伝統を大切にする文化
これらの要素が、物質的には質素でありながらも精神的な豊かさを支えていたと考えられます。
そして、食も健康度をあげていたと思うわけです。
食がもたらす精神的健康度
食べるという習慣は人それぞれで、なおかつ、とても変えづらいものでもあります。
いわゆる普通の食事になれている人からすれば一汁一菜なんて、なんの罰ゲームだよと思うはずです。
やらなきゃいけないコトだらけで、ストレスを溜めながらイヤというほど働く。そんな生活のなかで唯一の楽しみは食事。その食事が一汁一菜なんて……
社畜時代、僕もそう思っていました。ですが、あるときをきっかけに粗食にしました。ウソじゃなくホントの本当に、みるみる出世しました。
精神的に余裕がうまれ、ふと考え、社会の歯車で生きることをやめ、自分ファーストの生活にかえることができました。
お金はありませんが、お金に困ることはないし、お金がないことすら笑い話にでき、精神的に豊かな生きかたができています。
お金なんて豊かさの一部でしかなく、それの多い少ないで豊かさをはかるなんてバカげた生き方だと僕は考えています。
そんなように考えられるのも一汁一菜という食生活が一つの原因じゃないかと僕は思うわけです。
一汁一菜でえらえるメリット
そんな一汁一菜の食生活でえられたと感じるメリットをあげると、
食事で心の落ちつきをとりもどせる
しあわせって人それぞれですが、美食や買い物などでは満たせないモノがしあわせじゃないかと考えています。
美食や買い物でえられるしあわせって塩水のようなものです。飲めば飲むほど、ノドがかわく塩水のようなものです。お金で満たそうとするしあわせは、満たそうとするほどに不幸せになります。
たとえば美食をすればするほど、もっと美味しいもの(=味が濃いもの)を求めます。
しあわせは人それぞれですが、そんな美食では、しあわせを感じられなくなりました。
飲食業界だったので、人一倍食べるコト、美食にお金をかけて体験しました。でも、それはホントのしあわせじゃないなぁと思うようになりました。
それから少しずつ粗食にしていきました。途中でリバウンドしながらも、玄米菜食で一汁一菜の食事にかえていきました。
そんな一汁一菜の生活になれていくと心も落ちついてきました。刺激を求めなくなり、波のない穏やかな海をみながらボーっとする感覚で生活ができるようになりました。
そんな感覚ですごすうちに生活環境もそんな風にかわっていきました。
しあわせの感じかた、カタチは人それぞれでしょうが、なにもないコトしあわせを感じられるようになったのがメリットの一つです。
日本文化の精神性が豊かだと知れた
このブログでは役に立たない自称エリートが日本を壊しているという設定で話を組み立てています。
ですが、そんな自称エリートが束になっても敵わないくらい、日本は豊かな国で、いずれ日本があらたな文化を世界に発信していくという話もウソっぱちじゃないと感じられます。
自然を畏れ敬い(おそれうやまい)自然と共に生きる。そんな生活に感謝をしながら、お互いが助けあって生きていくのが日本人です。
いいヤツばかりじゃないけど悪いヤツばかりでもない、このろくでもない素晴らしい地球を腹いっぱい、そして安心して暮らせるのが日本です。
そんな日本で進化してきた食事は、微生物のチカラをかりながら、自然からいただけるモノを感謝していただき、自然を壊すことなく、自然のリズムを大事にしながら発展してきたようです。
そんな生き方は決して経済的には豊かじゃないけど、精神的には豊かな生き方なんだと知ることができました。
コミュニティとのつながり
オーガニック、ホリスティックなモノ・コトをゆりかごから墓場まで提供し、受けとれるコミュニティが日土水むらです。
どんなカタチになるかはわかりませんが、そんなコミュニティづくりに参加できるようになったのも一汁一菜の生活をつづけて得られたメリットです。
オーガニックっていうと高いもの、意識が高い変人がやるコトと思われがちです。
たしかにその通りで、日土水むらで活動している人たちを見ていると、あぁ社会では苦労するだろうなぁと思える人たちだらけです。
そんな人たちが安心して暮らせる社会を、みんなちがって みんないい、それが当たり前の価値観でみんなが生きられる世界へ。
そのためには日本の精神的な豊かさを感じながら、自然と共存、共生する暮らし。そのための食生活の一つとして一汁一菜があると思います。
毎日はむずかしいかもですが、週一回とか、自分にムリを感じられないトコロからはじめてみてはどうでしょう。
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